ニューヨークで過ごした1970年代

『ジョン・レノン、ニューヨーク』ニューヨーク時代のジョンに焦点を絞った作品

ジョンとヨーコ、ダブル不倫での結婚

ジョン・レノンとオノ・ヨーコはダブル不倫のうえでの結婚です。オノ・ヨーコはちなみに離婚歴2回になるので、時代のかなり先を走っていたことは紛れもない事実でしょう。前衛芸術もそうですが、私生活においても自分の素直な気持ちで行動していたようです。留学中の一柳慧と離婚した年に、ジャズミュージシャンで映像作家のアンソニー・コックスと結婚していますが、一柳慧との離婚が成立していなかったため、アンソニー・コックスとの結婚は無効とされたために、離婚が無事成立してから昭和38年(1963年)に再び結婚しています。そしてアンソニー・コックスとの間には、娘を設けています。

オノ・ヨーコが過ごした時代

サラ・フローレンス大学を退学して結婚してから、昭和34年(1959年)にはニューヨークを拠点にして前衛芸術集団と一緒に前衛芸術の活動を行っています。彼女の代表的な「カットピース」はこの時期にもパフォーマンスをしています。ニューヨークから活動の場を日本へ一時的に映した時代もあります。昭和37年(1962年)~昭和39年(1964年)です。この時期にコンセプチュアル・アート作品集「グレープフルーツ」といった作品も発表しています。

昭和39年(1964年)には、再び東京からニューヨークへ活動の拠点を移して活動していましたが、昭和41年(1966年)にロンドンの現代芸術協会の招きがありニューヨークからイギリスへ渡り、それを契機に活動の場所をロンドンに移し、ジョンとの出会いと繋がるのでした。


1966年ロンドン

ヨーコが活動の拠点をロンドンへ移した昭和41年(1966年)に、当時絶大な人気グループのビートルズのメンバージョン・レノンとヨーコとの出会いは、1966年11月9日のことです。ロンドンのインディカ・ギャラリーでオノ・ヨーコの個展【Unfinished Paintings and Objects】『未完成の絵画とオブジェ』が開催される前日のプレビュー・ショーにジョン・レノンは訪れます。

そして、もうすでに有名な話ですが、そこに展示されていた作品の【"Ceiling Painting (YES Painting)】「天井の絵」に惹かれました。それは部屋の中央に白い脚立が置かれていて、観客はそれを昇って天井からぶら下がった虫眼鏡を使います。虫眼鏡を使って天井に貼られたキャンバスの小さな文字を見るという作品です。

ジョン・レノンは当時のことを回想して「もし"No"とか『インチキ』みたいな、意地の悪い言葉が書かれていたら、すぐに画廊を出て行ったけど、"YES"だったから僕は『これはいける。心温まる気持ちにさせてくれる初めての美術展だ』と思ったんだ」と後々に語っています。

ヨーコの個展は、禅の概念を反映した個展ということもあって、「無」や「空」といったものに興味をもっていたジョンは「これだ!」と思ったのでしょう。翌年には、ヨーコにジョンからサポートがされて個展を開いています。その個展はロンドンのリッスン・ギャラリーです。そこには、すべてのオブジェが半分の形で展示された個展になっていて【Half-A-Wind Show】『ハーフ・ア・ウィンド・ショー』を行いました。

それからもジョンとヨーコは、一緒に前衛的な音楽活動やパフォーマンスを行うようになりました。ジョンがビートルズのメンバーと1968年2月から4月まで、インドに修行に出たときにも、ヨーコとは文通で連絡を取り合っていました。ジョンは同年の1968年に前衛アルバム【Unfinished Music No.1: Two Virgins】『「未完成」作品第1番:トゥー・ヴァージンズ』や前衛パフォーマンスの【Acorn Event】『ドングリ・イヴェント』を発表しています。

5月
インドの修行から帰国したジョンは、妻のシンシアが旅行中にヨーコを自宅へと招き入れます。そして以降からジョンとヨーコは同棲生活を始めます。もちろん、この時にはヨーコにはアンソニー・コックスという夫がいたはずですが、彼女は仕事がしたくて夫を追いやっていたようなのでそのへんの事情はわかりませが、事実はまだアンソニー・コックスとの籍は抜けていない状態でジョンと同棲を始めています。
7月
一方のジョンの妻シンシアは、夫のジョンがヨーコ・オノと同棲を始めてビートルズのレコーディングにもヨーコを同伴するようにない、7月に離婚申請を行います。そしてジョンとシンシアの離婚は11月8日に離婚が成立しました。

ジョンとヨーコの結婚

ヨーコの2回目の結婚相手アンソニー・コックスと離婚は1969年2月2日に成立しています。そしてヨーコの離婚が成立して翌月の3月20日に、ジョンとヨーコはジブラルタルで挙式となりました。

挙式の前1968年10月には、ジョン・レノンは大麻樹脂で逮捕されていますし、10月にはオノ・ヨーコが妊娠していることも発表されたりしていますが、結局流産となっています。1968年は二人にとって激動の1年であったことは間違いありません。

そして1968年11月11日に2人の全裸写真がジャッケットに使用された【Unfinished Music No.1: Two Virgins】『「未完成」作品第1番:トゥー・ヴァージンズ』が全米で発売されています。

2人が結婚して新婚旅行先では平和を訴えるパフォーマンスの『ベッド・イン』では、マスコミにどうせハネムーンが取り上げられるのであれば、ベトナム戦争最中ということもあり「平和を宣伝するために利用しよう」とかんがえたようで、ホテルの一室に記者を招きいれて平和について語り合うという内容の『ベッド・イン』のパフォーアンスをアムステルダムとモントリオールで行いました。

アムステルダム

オランダ、アムステルダムのヒルトン・ホテル702号室で1969年3月26日~31日まで行われました。

3月20日にジブラルタルで挙式して、ふたりのハネムーンでもありました。ヒルトン・ホテル702号室では、毎日午前9時~午後9時まで、世界中の報道陣を部屋に招きいれてインタビューに答えています。『The Ballad of John and Yoko』(ジョンとヨーコのバラード)の曲として、一連の行動が曲として録音されています。そしてビートルスの曲として、この曲が唯一のジャーナリスティック・ソングでもあります。

なによりも最優先したのは、時間を空けずにリリースすることだったため、ジョン・レノンとポール・マッカートニーの2人だけで録音されていて、ジョージ・ハリスンとリンゴ・スターの参加を待たずにレコーディングされました。アメリカではイエスキリストを冒涜しているとして、放送禁止にしたラジオ局が多かったため、アメリカでは低調でしたがイギリスではビートルズのシングルが第一位を獲得した最後のシングルでもありました。

モントリオール

カンダ、モントリオールのクイーン・エリザベス・ホテル1738・1742号室で1969年5月26日〜6月1日まで行われた「ベッド・イン」です。最初の予定ではニューヨークを予定していましたが、ジョンのイギリスでの大麻所持逮捕ということもあって、アメリカへの入国許可が下りなかったため、カナダのモントリオールで行われました。

6月1日には、ジョン・レノン初のソロシングル「Give Peace a Chance」(平和を我等に)のレコーディングも行われました。様々な有名人が部屋に招かれています。この曲を発表した名義は「Plastic Ono Band」(プラスティック・オノ・バンド)です。ベトナム戦争に対して反戦と平和のメッセージソングとして作られました。

Give Peace a Chance:収録メンバー

  • ジョン・レノン…アコースティック・ギター(ギブソン・J-160E)
  • トミー・スムーザー…アコースティック・ギター
  • オノ・ヨーコ
  • ティモシー・リアリー(心理学者でサイケデリック革命の父ともいわれる)と妻のローズマリー
  • ジョセフ・シュワルツ(科学者)
  • アレン・ギンズバーグ(詩人でビート文学の代表者)
  • デレク・テイラー(ビートルズの広報)
  • ペトゥラ・クラーク(歌手)
  • マレー・ザ・K(ラジオDJ)
  • フィル・スペクター(音楽プロデューサー
  • その場にいた報道陣

イマジン・ピース・タワー

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ジョンとヨーコ

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